大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和63年(ワ)6997号 判決

原告

柳原和子

右訴訟代理人弁護士

斉藤誠

山本政明

市来八郎

佃俊彦

被告

株式会社ケンウツド

右代表者代表取締役

岡誠

右訴訟代理人弁護士

内藤貞雄

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一原告が被告に対し、労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

二原告が被告の八王子事業所(八王子市石川町二九六七番地三所在)内技術開発本部開発第三部HIC開発プロジェクトチーム(以下「HICプロジェクトチーム」という。)に勤務する義務のないことを確認する。

三被告が原告に対してなした昭和六三年五月九日付停職処分一か月(同日から同年六月八日まで。以下「本件停職処分」という。)の無効であることを確認する。

四被告は原告に対し、一五〇〇万五〇七二円及びうち二〇四万九八一七円に対する平成元年一月一日から、うち三〇一万九九二三円に対する同二年一月一日から、うち三一四万七九〇五円に対する同三年一月一日から、うち三三二万六三二八円に対する同四年一月一日から、うち三四六万一〇九九円に対する同五年一月一日から各支払済みまで年六分の割合による金員ならびに同五年七月二五日から毎月二五日限り一か月二一万四八〇〇円を各支払え。

五訴訟費用は被告の負担とする。

六四、五項につき仮執行の宣言

第二事案の概要〈省略〉

第三争点に対する判断

一本件異動命令の有効性について

原告は、本件異動命令は権利の濫用で無効である旨主張するので、以下、原告の主張に沿いながら検討する。

1  幼児保育の不可能による勤務不可能について

(一) 現住居から八王子事業所に通勤することの困難性

証拠(〈書証番号等略〉)によると、次の事実を認めることができる。

原告は、本件異動命令発令前の企画室勤務当時、夫正樹と長男絋樹(昭和五九年六月一五日生れ)の三人家族で、少なくとも約五〇分を要して通勤していた。夫正樹は、いわゆる外資系の通信機器等の輸入及び製造販売会社(所在地は、東京都港区南麻布にあり、通勤利用駅は営団地下鉄日比谷線広尾駅で、同駅から右会社までは徒歩で約五分にある。通勤所用時間として約四〇分を要していた。)に勤務し、販売のための技術的サポートを仕事とし、勤務時間は午前九時から午後五時四五分まで(但し、残業で遅くなることが多い。)であったが、毎週水曜日の午前八時から米国にある開発部との定例の電話会議があるため、一時間早く出勤しなければならなかった。そして、海内外の出張(機器の故障に対応するための出張の場合は、予め予定されておらず、前日に命令されることが多い。)もあり、本件異動命令発令前一年間の出張は、延べ出張回数一九回で、延べ出張日数は八七日間(うち海外が五九日間)に及んでいる。

長男絋樹の保育園の送迎は、保育園における保育時間は午前七時三〇分から午後六時までであって、水曜日は夫正樹の出勤時間が早いために原告が保育園に送り、その他の日は夫正樹が送り、迎えについては、原告の勤務終了時間が午後五時四〇分までなのでできないため、月、火、木及び金曜日については一か月一万円でかっての同僚に依頼し、さらに同人に同人の出勤時間間際の午後六時五〇分まで自宅での保育を依頼し、水曜日については、保育園のパート勤務の保母に月一万円で迎えと午後八時までの自宅での保育(含む夕食)とを依頼している。

原告がHICプロジェクトチームに勤務することとなった場合、通勤経路として横浜線経由と中央線経由とがある。始業時間は午前八時五五分であるから、横浜線経由の場合、東急大井町線旗の台駅を午前六時五六分の電車に乗車しなければならず、そのためには自宅から同駅まで徒歩で約一〇分を要するので自宅を同六時四五分に出なければならない。そして、JR横浜線八王子駅着同八時二一分、同駅からは通勤バスと八高線の利用との二通りがあり、通勤バス利用の場合には同駅発同八時二五分に乗車して八王子事業所着は同八時四五分となり、総通勤時間は約二時間を要する。八高線利用の場合には同駅発高崎行同八時三二分、北八王子駅着同八時三七分で、同駅から八王子事業所までは徒歩約三分で、八王子事業所着は同八時四〇分ころとなり、総通勤時間は約一時間五五分を要する。帰宅は、終業時間は午後五時三五分なので、通勤バス利用の場合は同事業所同五時五〇分、八高線利用の場合は北八王子駅発同五時五三分に乗車し、右と略同時間を要し、自宅に到着するのは同七時四〇分ころとなる。中央線経由の場合、旗の台駅発午前七時一二分、五反田駅着同七時一九分、JR同駅発同七時二三分、同新宿駅着七時三六分、同駅発同七時三八分、同豊田駅着同八時二六分、通勤バス同駅発同八時三〇分、八王子事業所着同八時四五分となり、自宅からの総通勤時間としては約一時間四三分を要する。帰宅は、通勤バス同事業所発午後五時五〇分に乗車し、自宅に到着するのは同七時三五分ころとなる。

(二) 転居による通勤の可能性

(1) 転居の可能性と転居先住居の確保の容易性

証拠〈書証番号等略〉によると、次の事実を認めることができる。

八王子事業所の近辺には原告が転居を希望すればそれに相応する月額賃料約七万円の住居が多数存在している。

原告は、転居のできない理由として、夫は通勤時間として四〇ないし五〇分範囲内でなければならないとの考え方をしているとか、家主に恵まれている、長男の友達関係および地域の友人関係を失いたくない、転居してまで通う職場ではない等と供述しているにとどまる。

他方、転居による夫の通勤は、居住地を八王子、豊田、日野、立川の各市と定めた場合、中央線経由で勤務先会社まで約一時間(但し、居宅から乗車駅までの時間を含まない。)である。

(2) 転居による保育園保育の可能性

証拠(〈書証番号等略〉)によると、次の事実を認めることができる。

八王子事業所の所在する八王子市内には同事業所から徒歩約一五分の範囲内に三つの保育園があり、被告の送迎バスを利用して約二〇分の範囲内に一つの保育園があり、同事業所に隣接する日野市ないし同事業所から徒歩で約二〇分の範囲内に一つ、徒歩と路線バスとを利用して約二〇分の範囲内に二つの保育園がそれぞれある。そして、いずれの保育園も転園については継続保育ということから優先的扱いを受けることができ、うち二つの保育園については定員に余裕があり、また、他の地域から通園する、いわゆる「管外保育」の制度もあり、保育時間も通常の保育時間が午前八時三〇分から午後五時までのところを午前七時三〇から午後六時まで延長できる特例保育の制度を設けている保育園もある。

(三) 当裁判所の判断

以上の認定事実によると、原告は、本件異動命令発令当時、満三歳の長男を保育しながら夫とともに各別会社に勤務しており、長男の保育については、保育園に入園させており、この送りについては、水曜日は夫の勤務の都合上原告がなし、それ以外の日は夫がなし、迎えと原告が帰宅するまでの間は、月、火、木および金曜日は、原告の元の同僚に依頼しているが、これも同人の勤務の関係で午後六時五〇分までであり、水曜日は、右保育園の保母に依頼し、さらに、同人に午後八時までの自宅での保育(含む夕食)を依頼しているというのである。このような原告の保育の状況からすれば、原告が八王子事業所に通勤するということとなれば、通勤時間は最短時間の中央線経由でも約一時間四三分を要し、このため、出勤は、自宅を午前七時一〇分ころに出なければならず、帰宅は、午後七時三五分ころとなるというのであるから、保育状況に変化がなく、現住居から通勤するという限りにおいては、水曜日に保育園に送ること、月、火、木及び金曜日の午後六時五〇分ころから原告が帰宅する同七時三五分ころまでの保育とができないこととなる。この限りにおいて、原告の主張にも首肯し得る点がないではないが、右の保育のできない時間帯につき、経済的負担を度外視するならば、さらに、第三者に依頼することが可能であったのではないかとの疑問があるし、後期認定のとおり、被告は、原告との間で、通勤時間及び保育問題等につき十分話し合ってできる限りの配慮をしようと考えていたというのであるから、いかなる場合にも現住居からの通勤が不可能であったなどということはできない。原告の主張する健康問題も、後述するとおり、この障害事由になるとは認められないし、二男の妊娠も、本件異動命令後のことであるから、この有効性の判断材料とはならない。

以上の点を別としても、原告が八王子事業所近辺に転居をすれば原告の主張する保育問題等は容易に解決することができたといえる。

原告は、転居のできない理由とし、現在の生活状況を変えることは非常な不利益を伴うからである等と主張及び供述するが、なるほど、転居に伴って多少の不利益の伴うことは否定し得ないが、原告の主張及び供述することは転居のできない客観的障害事由ということはできないし、転居先住居の点においても、また、保育園の転園の点においても容易に確保できたというのであるから、被告の従業員であるという立場からすれば、転居という方法によって本件異動命令に協力すべきであったといえる。

原告の供述する夫の通勤時間についても、居住地を八王子、豊田、日野、立川の各市に定めた場合、電車で約一時間(但し、居宅から乗車駅までの時間を含まない。)であるというのであるから、都内及びその周辺の昨今の住宅事情を考慮すれば、右の程度の通勤時間は、格別異を唱える事由とはいえず、これを理由に反対するということは、原告の被告における従業員であるという立場に対する非協力的な態度であると評されても止むを得ない。

以上のとおりであるから、この点に関する原告の主張は採用しない。

2  雇用機会均等法二八条一項(但し、平成三年法第七六号による改正前のもの。以下同じ)の努力義務の過怠について

雇用機会均等法二八条一項は、女子を雇用している事業主は、女子従業員が育児のために退職しなくてもすむように、育児休業その他の育児に関する便宜の供与をなすよう努めなければならないことを定めているから、被告においても、同条項の趣旨に従い、原告に対し、原告の長男の保育につき、保育園等に預ける場合の勤務時間について配慮しなければならない。

しかし、原告は、本件異動命令に従って八王子事業所において就労していたというなら格別、本件異動命令自体を拒否していたのであるから、同条項の適用される場面とはならず、同条項違背の問題とはならない。

なお、原告は、その主張するような高血圧症に罹患していることを認めることができる(〈書証番号等略〉)が、このために通勤が困難であると認めることはできないし、二男の妊娠も、本件異動命令後のことであるから、この有効性の判断材料とはならない。

また、原告の主張する保育上の問題点等は格別困難を伴わない転居によって容易に解決することのできたことは前述したとおりであるし、証拠(〈書証番号等略〉)によれば、被告は、本件異動命令に先立ち、原告の経歴、家庭状況及び通勤時間等を総合的に検討した結果、通勤可能と判断していたが、予想に反して本件異動命令を拒否されたので、事態の打開を図るため、原告との間で、勤務時間、保育問題及び転居問題等について十分話し合い、できる限りの配慮をしたいと考えていたが、原告は、この話し合いに積極的に応じようとせず、訴訟によって決着を図る姿勢を堅持していたことを認めることができる(但し、原告のこの姿勢の是非を論難しようとするものではない。)。

よって、この点に関する原告の主張は理由がない。

3  業務上の必要性の欠如について

証拠(〈書証番号等略〉)によると、次の事実を認めることができる。

(一) HICプロジェクトチーム増員の必要性について

被告は、昭和六〇年五月の常務会の決定に従い、新規事業として同六二年三月から被告のカーオーディオ事業本部向けにHICの生産を人員五名で開始した。しかし、同年五月における同年八月から九月にかけての需要見通しが当初の予想を大幅に増加したため、生産計画の変更と人員三名を増員した八名体制とする必要があった。そこで、HICプロジェクトチームの課長高橋信男(以下「高橋課長」という。)は、八王子事業所における総務及び人事に関する業務を担当していた人事部八王子事業所管理室マネージャー布川元晧(以下「布川マネージャー」という。)に右生産計画変更と人員増員計画とを伝え、増員の人選を依頼した。この依頼を受けた布川マネージャーは、八王子事業所内で人選を進めたところ、当時偶々工務グループがコスト高で製造を中止することとなっていたので、同グループに所属していた縄田信子を同年六月一日付でHICプロジェクトチームに異動させることができ、六名体制とすることができた。しかし、他の二名の増員については同年八月に至るもなお見通しが立たず、このため予定生産量の達成ができないため、支障の生ずるおそれがでてきた。このような状況にあったにもかかわらず、同月における翌六三年一一月までの需要見通しが三倍強に増産することが必要となった。そこで、高橋課長は、右の需要見込みに対応する生産計画の変更と人員増員計画とを立案し、昭和六二年八月開催のマネージャー会で、右計画とこれを実施するために、同年一一月ころから同六三年一一月ころまでにさらに生産要員二名を加えた一〇名体制としなければならない旨報告するとともに、斉藤技術開発本部開発第三部長にも一〇名体制にするための増員要請を依頼した。

八王子事業所管理室では、右増員要員を同年七月から同事業所内のカーオーディオ、ホームオーディオの各製造部門のすべての部門にわたって、マネージャーを中心として検討させ、どの部門も人員不足の状況にあったが、カーオーディオ事業部から生産に従事していた金崎恵理子(当時約二〇歳)を同年八月二一日付で、同事業部から生産技術担当の吉川勝貴を同年九月一日付でそれぞれ異動させることができ、八名体制とすることができた。

(二) 増員及び補充要員の必要性

しかし、さらに二名の増員が必要であったところ、同年一〇月二〇日ころ、高橋課長に対し、右金崎は、貧血症が回復しない、との理由で、右吉川は、毎日同じ仕事で面白くない、との理由で、それぞれ同年一二月末ころまでに退職する旨の意思を表明し、高橋課長の慰留にも応じようとしなかった。そこで、高橋課長は斉藤部長に対し、同年一〇月二〇日ころ、早急に右二名の補充をしないと製造部門に非常な迷惑を掛けることとなるので、補充をして欲しい旨要請し、また、事前折衝として、右退職の件を布川マネージャーに報告し、右二名の補充をしないと重大な支障が生ずるので早急に補充手続を進めて欲しい旨要請するとともに、右の補充要員は即戦力となる者、すなわち、熟練を必要とすることから製造現場経験者でありかつ、目視の検査業務を行うことから年令にして四〇歳未満の者を希望するとの条件を付した。この要請を受けた布川マネージャーは、当時、八王子事業所内での補充は非常に困難な状況にあったが、HICの増産のために補充は不可欠であると理解していたので、補充要員の人選を進め、同年一二月二〇日、取りあえずの応援としてホームオーディオの生産に約一七年間携わっていた女子従業員白山育美(当時三〇歳)を配置させることができた。しかし、残る一名の補充については到底見通しの立たない状況にあった。このようなことから、需要を大幅に下回る生産しかできず、関係部門に著しい影響を及ぼし、各部門から苦情が寄せられたので、布川マネージャーは、昭和六三年一月一一日、製造経験がなかった派遣社員一名を配置してみたものの、同社員は、同月二九日、退職してしまった。

(三) 当裁判所の判断

右認定したところによると、被告のHICの増産の必要性は、当初五名の人員体制で生産を開始したものの、生産開始の間もなくのころから需要が飛躍的に増大したため、生産計画の変更及び増員計画の変更とを昭和六二年五月と同年八月とにせざるを得ず、同年一一月ころから同六三年一一月ころにかけて一〇名体制とすることが必要不可欠であったというのである。しかし、このための要員配置が容易でなかったというのであり、しかも、折角配置することのできた金崎、吉川の二名が同六二年一二月末ころまでに退職する旨の意思を表示したというのである。この二名の補充は、増員の必要性以上に必要不可欠であったといえる。

したがって、HICプロジェクトチームに人員を増員すること、退職者二名の補充をすることの必要性は極めて大きかったといえる。

したがって、HICプロジェクトチームに人員を増員する必要性はなかった旨の原告の主張は理由がない。

4  人選自体の不合理性について

証拠(〈書証番号等略〉)によると、次の事実を認めることができる。

(一) 人選選定基準について

人事部は、退職者二名の補充要員の人選基準として、HICプロジェクトチームの要望に沿い、即戦力となる者、すなわち、製造現場経験者であること、年令は四〇歳未満である者とした。製造現場経験者としたのは、この経験のない者では教育期間が必要であるが、この教育のためには人員を割くのが困難な状況にあり、作業するうえでも困難を伴うことからであり、また、年令を四〇歳未満としたのは、目視検査等があるので、老眼等の目の衰えている者では検査等が困難であることによるからである。

なお、右補充要員が担当する予定となっていた作業内容は、HIC生産工程一二の作業区分のうち七区分である。すなわち、①レーザートリミング工程(基板を機械のテーブルに乗せカバーを締めると自動でトレミングする。帰ってきた基板を取り出しケースに入れる。)、②基板分割工程(三インチの基板に溝が入っており、その溝に沿って人手で分割する。)、③端子装着工程(機械のコンベア上に分割した基板を乗せる。)、④洗浄工程(洗浄状態を確認しバケットに入れる。)、⑤印刷工程(ロット番号をHICに捺印する。)、⑥外観検査工程(規定に基づき目視による外観検査)、⑦包装工程(導電マット上にHICを整列し箱詰めする。)であり、作業の難易度は、⑤と⑥とがやや難しく、その他は易しい部類に属する。

(二) 人選選定経緯について

被告は、人事に関する重要な事項の決裁者及び決裁手続につき、「組織人事決裁規定」を定めており、この定める決裁基準によれば、役職者以外の一般作業員の部門内異動については、部門長が上申し、人事部において立案し、担当役員が調整し、人事部長が決裁することとなっている。

前記認定のとおり、高橋課長から金崎、吉川の退職に伴う二名の要員補充依頼の事前折衝を受けた布川マネージャーは、高橋課長に至急正式な要請手続を経ることを述べるとともに、他のアシスタントマネージャーとともに各部のマネージャーと折衝しながら八王子事業所内で人事記録に基づいて右条件に合った従業員を選定する作業を進めた。しかし、同事業所内において余剰人員はなく、異動可能な人員もなかった。このように、同事業所内での異動は全く見通しがたたない状況にあったが、同年一一月四日ころ、福地人事部長は布川マネージャーに対し、右条件に合った女子従業員二名の人選をするように指示したが、布川マネージャーは福地人事部長に対し、八王子事業所内で二名を選定することは非常に困難であるから本社地区で一名を選定して欲しい旨要請した。この要請を受けた福地人事部長は、同年一一月一二日ころ、人事部人事セクションマネージャー久保田公弘(以下「久保田マネージャー」という。)に対し、補充要員二名のうち一名については八王子事業所において検討するので、他の一名を他の事業所から人選すること、人選に当たっては担当業務から特別の能力を必要としないが、即戦力となる者(製造現場経験者)であること、目視検査等をも含むことから年令四〇歳未満の者であることの指示をした。そこで、久保田マネージャーは、同日から大西アシスタントマネージャー及び人事担当者らをして人選の検討に当らせた。計測器の設計・生産をしていた相模事業所においては人員不足で補充の必要がある状況にあり、無線機の設計・生産をしていた東京事業所においても同事業所の業務を子会社の山形ケンウッドに移管しつつあり、職場に残留している者は必要最小限度の人員しかいなかったため、異動可能者は見当らなかった。このようなことから、人選対象者を本社地区(但し、原告の勤務していた職場をも含む。以下、同じ。)の従業員とすることとせざるを得なかった。そこで、人事部は、本社地区所属の約六〇名の女子従業員の人事記録及び自己申告書(これには異動の希望の有無、異動した場合の障害事項等を記載するようになっていた。)に基づき、同従業員のうちから製造現場経験者及び年齢四〇歳未満までの者を選定したところ、原告のみがこれに該当した。原告は、被告に雇用される前は被告の関連会社で通信機器の製造業務に従事していたことがあり、被告に中途採用者として雇用された後も右製造経験を生かして約七年間に亘り通信機器の製造業務に携わっていたし、年令的にも三四歳であったので、この点からも適任とされたのである。そこで、久保田マネージャーは、さらに原告の通勤時間及び家庭状況等を総合的に検討した結果、家庭生活上の点をも含めて格別支障となるような事情は認められないと判断した。そこで、大西アシスタントマネージャーは、同年一二月二日、山田室長に原告を異動した場合における業務上の支障の有無、原告の生活上の支障の有無等を確認したところ、山田室長は、いずれも支障となる事情は見受けられない旨回答した。

このようなことから、原告を本件異動の対象者として選定し、異動手続を進め、同年一二月二四日、福地人事部長は、原告を本件異動対象者と決定し、同六三年一月一四日、花田本部長に対し、原告に同年二月一日付をもって本件異動命令を発令するので、その内示をするように依頼し、この依頼をうけた同部長は山田室長に対し、同月二六日、原告に対し本件異動命令を内示するよう命じ、この命を受けた山田室長は原告に対し、翌二七日、本件異動命令の内示をした。

(三) 当裁判所の判断

右認定したところによると、被告がHICプロジェクトチームの補充要員二名の選定基準とした製造現場経験者及び年令四〇歳未満の者ということは、作業内容の点からみて、それ自体に不合理なところはない。

原告の主張する製造経験のない派遣社員については、前記3の(二)で認定したとおり、配置後一八日後に退職してしまっており、証人高橋信男の証言によれば、右退職理由は製造経験のなかったことによるのではないかとのことであるが、この真実の理由については本件全証拠によるも明らかではないものの、派遣社員の右配置をもって、原告の主張するように製造現場経験者との基準がまやかしであるということはできないし、また、補充要員が担当することとなっていた作業内容は、前記認定したとおり七工程であって、誰でもができる作業であるということはできず、一般的に製造経験を有する者の方がこれを有しない者より戦力となることは経験則上明らかである。

次に、原告は、右補充要員として原告を選定した過程自体不合理である旨主張するが、被告人の人事部担当者は、異動可能者のなかから右選定基準に従い選定作業をしたところ、原告しか該当者がいなかったというのであるから、この点に不合理なところはなく、また、他にこの不合理な点を認めるに足りる証拠もない。

したがって、この点に関する原告の主張も理由がない。

5  不当な動機・目的の存在について

原告は、本件人事異動命令は、山田室長が原告を退職させるための嫌がらせないし報復人事の一環としてなした旨主張し、原告もこれに沿い、具体的に勤怠届出表の件等数項目に亘り供述をし、本件異動命令は、原告が山田室長の陰湿な苛めにもめげずに勤務していたので、最後の手段としてなされた旨供述している。

しかし、前記認定したところによれば、本件人事異動の対象者の選定は、福地人事部長の命により人事部において作業をし、同部長において決定したというのであり、しかも、山田室長は、本件人事異動に係わる立場になかったのであるから(〈書証番号等略〉)、原告の右供述は、証拠(〈書証番号等略〉)と対比したとき、原告の単なる主観的感情ないし憶測・誤解に基づいた見解を述べているにすぎないから、にわかには信用できない。

他に、原告の右主張事実を認めるに足りる証拠はないから、この点に関する原告の主張も理由がない。

二本件停職処分の有効性について

1  手続的違法について

就業規則五〇条及びこれを受けた懲戒規定二条、一一条、一七条には原告の主張するとおりの定めがなされていることは争いがない。

しかし、懲戒規定一一条の定める陳述は、懲戒審査委員会の裁量によってこれをさせるか否かを決定することができ、同規定一七条の定める書類の添付は、上司または担当役員に対する義務を定めたもので、被審査者に対する手続的保障を定めたものではないから、仮に、この添付義務違背があったとしても、本件停職処分の効力には何らの影響を及ぼすことはないと解することができる。

したがって、この点に関する原告の主張も理由がない。

2  実体的違法について

前述したところから明らかなとおり、原告は本件異動命令に従うべき義務があったのであり、就業規則三六条一項(〈書証番号等略〉)も速やかな着任義務を明記している。

原告の主張する保育権の侵害は、前述した原告と被告との間で勤務時間等についての話し合い、原告の転居等によって容易に解決することができたと考えられるのであるから、これが実体法上認められるか否かを検討するまでもなく、理由がない。

次に、証拠(〈書証番号等略〉)によると、次の事実を認めることができる。

原告は、昭和六三年二月一日、苦情処理委員会に本件人事異動に関し苦情の申立てをした。同委員会は原告から事情を聴取したうえ、申立てを棄却する旨の裁定をし、翌三日、同委員会を代表して久保田委員が苦情の申立てを棄却する旨の裁定通知書を手渡した。

原告は、苦情処理委員会の棄却裁定後においても有給休暇の届け出をなして欠勤、同月八日、本件異動命令発令前の職場に出てそれまで使用していた事務机の整理をする等し、翌九日以降有給休暇の届け出をして出勤せず、そして、原告の保有する有給休暇のすべてを取り尽くした同年三月九日以降も欠勤した。そこで、被告は原告に対し、同月八日、同日付書面で、原告から申請された同月九日以降の欠勤については理由がなく認められないこと、これ以上の欠勤を継続すれば相応の処分をせざるを得ない旨を通知したが、原告は、その後も出勤しなかったので、被告は、さらに同月三〇日付このころ到達の警告書と題する書面で、赴任すべき日から既に五六日間に亘って就業規則に違反する重大な義務違反を続けており、このことは重大な経営秩序違反である、また、被告の負担は多大であり、被告の原告に対する懲戒処分に関する猶予にも限界があり、直ちに本件異動命令に従うように警告するので、これをも無視すれば、やむを得ず懲戒処分に踏み切らざるを得ない旨の警告をした。しかし、原告は、これをも無視して出勤しなかった。

そこで、被告は、同年四月二九日、懲戒審査委員会規則に従った懲戒審査委員会を開催して検討のうえ、原告の右行為は正当な理由のない人事異動の拒否及び三六日間の無届け欠勤に準ずる行為に該当するとして、前述の懲戒規定により本件停職処分とした。

右認定したところによると、原告は、有給休暇をすべて取り尽くした後も被告の再三に亘る本件異動命令に従うべき旨の警告を無視して三六日間に亘り欠勤し続け、この結果、被告の経営秩序に重大な支障を与えたというのである。

そうすると、原告の右行為は、前記懲戒規定一六条二号、一二号に該当することは明らかであり、他に本件停職処分が被告の懲戒権を濫用してなされたことを認めるに足りる証拠もない。

したがって、本件停職処分は有効であり、原告のこの点に関する主張も理由がない。

三本件懲戒解雇処分の有効性について

原告は、有効な本件異動命令に従うべき義務を負っていたことは前述したとおりであるところ、証拠(〈書証番号等略〉)によると、次の事実を認めることができる。

原告は、本件停職処分による停職期間経過後も引き続き欠勤行為を継続したため、被告は原告に対し、同年六月二三日付このころ到達の再警告書と題する書面をもって、停職期間満了後一一日間の無断欠勤を継続しており、本件異動命令に従い直ちに赴任するよう警告する、これを無視すればやむなく重大な決意をもって厳重な処分に踏み切らざるを得ない旨警告したが、原告は、これをも無視して出勤せず、さらに、被告は、同年七月二七日付このころ到達の再々警告書と題する書面をもって、直ちにHICプロジェクトチームに勤務すべきこと、これを無視すれば、被告は、本件停職処分以上の重い処分をもって臨まざるを得ないこと、原告が申請した仮処分事件で主張したこと及び本訴で主張していることと相違する主張があれば同年八月五日までに懲戒審査委員会宛て顛末書として提出すべきこと、同日開催予定の懲戒審査委員会の結論に従い懲戒処分を行うことを警告した。しかし、原告は、この警告にも従わず出勤しなかったので、被告は、同年九月一六日、懲戒審査委員会を開催し、審議した結果、原告の右行為は被告の経営秩序を著しく侵害するものであるとの結論に達し、本件懲戒解雇処分とした。

右認定したところによると、原告は、本件停職処分期間満了後も被告の二度に亘る出勤命令及びこれを無視した場合の懲戒処分の警告にもかかわらず、これを無視して出勤しなかったというのであり、原告のこの欠勤には正当な理由のないことは前述したところから明らかである。

そうすると、原告の右行為は、前記懲戒規定一六条二号、一二号に該当し、他に本件懲戒解雇処分が懲戒権を濫用してなされたことを認めるに足りる証拠もない。

したがって、本件懲戒解雇処分は有効であり、原告のこの点に関する主張も理由がない。

四結論

以上説示したところから明らかなとおり、本訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないので、主文のとおり判決する。

(裁判官林豊)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例